アウトプット日記

読んだ本、文献、作業療法に関する勉強会・研修会のまとめ。個人的な。

第27回リハ工学カンファレンス福岡

平成24年8月25日

特別講演「自他のあわいに位置する道具について」

熊谷晋一郎氏:東京大学先端科学技術研究センター「特任講師 小児科医」

 

【概要】

人にとって道具がどんな意味を持つのかを考える。「あわい」とは「間」の意味で比喩的な表現。例えば、私が使用している電動車椅子などの道具は身体の一部となっていて離れることはできないものである。しかし、今ひとつなじまない場合、他人のように感じる。結論から言えば、「道具は自分と他人の間に置かれるのがちょうどいいのでは?」と思う。

 

自立の反対語を考える。中高生にアンケートをとった。結果は「依存 孤独 依頼 保護」などが挙がった。反対語から攻めていくアプローチが有効では?と考えた。しかし、自立の反対語は依存ではない。

 

昨年3月の東日本大震災を例に挙げる。健常者は階段、車、ロープなど逃げる手段がたくさんある。これは依存先が分散している状態と言える。一方、障がい者は逃げる手段が限られる。これは依存先が集中している状態と言える。限られていると依存度が深まる。依存先がありすぎて気づいていないことを自立と言う。逆に依存先がない、または限られていると自立できない。

 

薬物依存症者に対して、無理解者は依存しすぎていると思ってしまう。しかし、多くの依存症者は幼少の頃の虐待などによって、「人は信用できない」「誰にも頼ってはいけない」と強く思ってしまう。しかし、人は依存しなければ生きていけないのが現実。依存症は自分に対して正当な依存すらも禁止している状態であり、自分で処理しようとする。そのため、薬物に依存してしまう。依存先が分散できず、薬物への依存の集中が薬物依存症。治療は薬物以外の依存先をつくること。

すべてからの自立は存在しない。何も依存しないで生きていくのは不可能。依存度の集中vs分散について考えることが必要。例えば、親以外の依存先を探すなど。最初の自立は親以外に依存できる人を探すこと。

 

自身のリハビリ歴について。以前の医学モデルでは健常者に近づくか、依存先を開拓するかだった。70年代は健常者に近づけることによって周囲の環境を変えなくても良いという考えであった。しかし、80年代になると少しずつ変わってきた。無理に健常者に近づけるのではなく、周囲の環境のデザインを変えて、周りのものや環境を障がい者に合わせていく方向へと変わってきた。つまり、依存先を増やすという方向に。

 

さらに5060年代は本人の身体に介入するリハビリが主流だった。80年代には神経発達学的アプローチが流行した。つまり、身体を動かすプログラミングが悪いということ。この考えはバブルの時期と重なり、マスコミが騒いで一大ブームとなった。

運動障がいは身体の問題ではなく心の問題とされた。つまり、運動を指令したり、行為をプログラミングしたりしているのは本人の心の問題ということ。しかし、身体に介入するリハビリは残酷な気もする。なぜなら、身体に介入したリハビリが上手く行かなかった場合、原因は介入したセラピスト側にある。しかし、心に介入した場合、上手く行かなかいと本人に原因を求められるからである。

この時期、①健常者幻想と②厳しい社会幻想が生み出された。健常者幻想とは、治る可能性を過剰に期待し、「健常者にならないといけない」「なってないとダメ」という考え。この考えは自分に対する信頼を奪う。②厳しい社会幻想とは、「人並みにできなければ野垂れ死ぬ」という考え。この考えは社会に対する信頼を奪う。そのため、障がい者たちは外に出られなくなり、密室に引きこもるようになってしまう。

 

健常者は思春期に徐々に親から離れ、親以外に依存先を開いていく。しかし、障がい者は何らかの介助を必要とするため親から離れることができない。言わば、ゼリー状の親が常にはさまっている状態。親が常に邪魔をする。しかも、ねっとりと。そのため、欲求、身体、環境がすべてぼやけて、障害経験を親に奪われてしまうことになる。自分の限界かどうかも分からないため、ニーズも分からない。

 

私は18歳で家を出て一人暮らしをすることにした。親が死んだらヤバイんじゃないか、同時に自分も死ぬんじゃないかという危機感から一人暮らしをすることにした。一人暮らしをすることで障害経験はむき出しになった。いろいろと欲望がでてきた。今まで親と一緒に住んでいたときはすべて親が解決した。つまり、親とカップリングした状態。それが一人暮らしをすることで満たされない欲望の一覧表ができた。満たされないからこそ初めて欲望に直面できた。その後は欲望の一覧表に優先順位をつけ始めた。優先順位をつけると「解決すべき課題はトイレだけなんじゃないか」と思った。そんな中、一人暮らしが進んでいき、不安から課題に変わっていった。

 

一人暮らしをして初めて自分の身体と向き合った。自分の好きなようにコップを持つことができる。初めての自分の身体とモノとの対話。一人暮らしをする中でバリアフリー工事も経験し、モノの側も自分に合わせて変えていいんだということが分かった。試行錯誤や共同作業を行う中で自分とモノが相互に歩み寄る経験をした。周囲のモノや環境とのやりとりの中で、知覚・運動ループが世界から自己を切り出す。外界と残りの身体との境界は随伴性の高低によって引かれる。世界との直接交渉で学ぶことができる。このことを18歳で初めて学んだ。

どこからが自分の身体なのかを考えてみる。自分の言うことを聞く範囲が自分の身体?自他分離。道具はどうだろうか。道具の身体化という言葉がある。私の場合、電動車椅子は命令に忠実である。電動車椅子は自分の身体の一部だろうか。道具であろうが他者であろうが自分の体と感じることもある。例えば入浴介助されるとき、介助者の右手を自分の右手のように感じることをしばしば経験する。他人の肉体の身体化である。

道具の身体化は便利な一面と怖い一面がある。道具を自分の手足のように使うことができれば非常に便利である。しかし、どっちがどっちに支配されているか分からなくなる。例えば普段使用している車椅子が故障して代車になることがあるが、車椅子が変わると人格が変わったようになり、鬱々とした感じになる。これは道具によって人格が支えられていると言える。つまり、依存先が集中している状態。依存度が深まるとリスクを生じる。

 

介助する側も介助される側も他者と予測モデルを揃えることが重要。自信過剰な介助者ほど危険なことはない。初めての介助者の場合、お互いを知らないため相互に怯え合う。相互に怯え合うことで相手の動きを予測し合うことができる。そうすれば、身体化は上手くいく。そして、不思議なことに世界の見え方が一致してくる。私の介助をすることになってから、3センチぐらいの小さな段差や、いろんな場所の便座の高さに気づくようになる。また、その逆もあり、私の方が介助者の視点で気づくこともある。

以前、健常者はスーパーマンだと思っていた。しかし、健常者から介助されるようになって、どうやらそうではないことに気付き始めた。あるとき、坂道で介助者に車椅子を押してもらうと、後ろで介助者の息が切れていた。そんな中、健常者は大した事はないらしいと思うようになった。「みんな欠陥を抱えてるんだ」「長短あるな」と。そうすると坂道の見えかたが変わったりする。身体化がうまく行くと相互の見え方が豊かになる。

 

私は小児科医をしている。もちろん一人ではできないので、スタッフと一緒に協力して業務を行なっている。仕事をする中で、互いの世界の見え方を揃えることがとても重要。それが、職場でうまく行くかを決めている。

研修医の頃、採血の実習があった。もちろん、教科書通りにはいかない。さらに、車椅子に乗っているし、身体に障がいがあるということでaway感が半端なかった。もちろん、最初は他の同期と同程度にできないが、同期は少しずつ上達していく。でも、自分は全く上達しないので落ち込んだ。

 そこで、一人でもできるように道具を作ろうとした。誤った方向に解決策を求めてしまった。100円ショップで道具を揃えて自作した。でも、一人でやろうとすると必要なものがドンドンかさばってくる。もちろん、採血もうまくいかなった。得体のしれない道具を持っているし、不衛生だし、感染しそうと思われた。そして、失敗し、道具をバージョンアップし、また失敗するという悪循環に陥った。

そこでやっと「要するに人の助けが必要なんだ」ということに気付いた。みんな一人で仕事をしていない。忙しい病院に転勤したことが転機になった。忙しい職場はみんなギリギリで仕事をしているので監視する暇がない。「何か手伝うことある?」と常に声をかけあっていた。みんなが一人一人のスペック(能力)を把握し、適材適所で仕事を自然と割り振られていた。何より、仕事を回せることが優先されていた。

現在、採血は吸血鬼のように吸引器を口で吸って行っている。当然の流れのように他のスタッフが口に加えさせる。エレガントに行えば患者も採血はこんなものだったのかと気付かない。患者がけむに巻かれてしまう。

動きそのものに意味や価値があるのではなく、「動きの連関構造」で捉えることが大事。社会の一部にその動きが配置されることで意味や価値が出てくる。

 

依存先をどう開拓するか。「構成的体制」という言葉を紹介する。簡単に言えば、世の中の決まりごと。既存の構成的体制を自分の予測モデルとしてダウンロードできるのが健常者。しかし、障がい者はダウンロードできないため適応できない。よって、障がい者それぞれ自分たちの知覚・運動体験を通して、仲間との相互作用でバージョンアップしていく必要がある。

 

70年代まで障がい者の依存先は親か大病院しかなかった。そこで自立生活運動が起こった。青い芝の会の思想は世の中の常識に挑戦していくというスタンスをとった。府中療育センター闘争は法や制度の立場から障がい者の自立を訴えた。市場・効率・サービスといった側面から障がい者の自立を訴えた団体もあった。そして、自立生活センター立川がうまれた。そのような自立生活運動を背景に、障がい者は親以外にも依存できるようになった。

 

障がい者が自立するに当たって「自己決定の原則」というものがある。障がい者自身の意志を尊重すること。しかし、自己決定の原則には弱点がある。先まわり介助が批判され、介助者は道具に徹するべきだという考えが台頭した。しかし、これは危険。自己決定は自己責任と結び付けられるようになってきた。そして、自己決定が不得意な人を排除する意味で使われるようになってきた。

介助者が手足のようになることは身体化と言える。しかし、自己決定と身体化は違うんじゃないかと思う。みんな誰でも自己決定はたまにしかしていない。自己決定を追求すると逆に手足にならない。

 

研究室に綾屋紗月さんという研究員がいる。彼女はアスペルガー症候群である。アスペルガー症候群の人は多くの人が自動で行っていることをすべて自己決定して行っている。そのため、選択肢が多すぎて疲れてしまう。自己決定が保証されれば自由になるわけではない。

 

知覚・運動ループにゆらぎが少ないと動作は自動化し、身体化する。例えば、声の大きさなどは自動調整している。環境や相手によって、自動的に声の大きさや抑揚などを調整する。しかし、アスペルガー症候群の人たちはいちいち手動で調整している。運動と思考が直列。自己の運動そのものを思考しながら動作を行なうので効率が悪く疲れやすい。そのため、声の大きさや抑揚を調整しなくてよい手話やパソコンだと自動化しやすく、コミュニケーションがとりやすくなる。運動と思考を並列的に行うことができる。

 

手動回路と自動回路。例えば、初めて自転車に乗るとき。自転車に乗るという運動について思考しているため、他のことが考えられない。つまり、思考と運動がパラレルにならない。

 障がい者やマイノリティは思考と運動がパラレルになりにくい。なぜなら社会が肉体に合わないため、自分が合わせないといけないから。外の世界になんとか合わせようとする「あたふたモード」や、外の世界を拒絶し閉じこもってしまう「ぐるぐるモード」を行ったり来たりしている。一方、健常者やマジョリティは身体が社会にすんなり適応する「スイスイモード」を使っている。自動の身体化領域と手動の自己決定領域という側面がある。

 

構成的体制に対する自己感がマイノリティとマジョリティでは異なる。少数派は「あたふたモード」と「ぐるぐるモード」をシーソーのように行ったり来たりしている。自己決定は手動回路であり、知覚・運動ループのゆらぎが大きい。身体化するには自動回路が必要。

 

道具に求められること。

①多くの人になじみ、自動化されること
②完全に身体能力の一部になると依存の集中と主客逆転が起きる
③同時に常に他者性があり、対話可能性と更新可能性に開かれていることが重要

 

以下、質疑応答の内容。

薬物依存症などの依存症は不安との関連が強いと思います。不安については講義の中で触れられませんでしたが、不安についてお考えがあればお聞かせください。

 

→不安は未来に対する不確実性に対して起こる。よって、不安を解消する処方箋は未来を予測できるようになること。予測できるようになるためには、周囲のモノや人などを探索して経験していかなければならない。依存性は虐待など無秩序な経験から慢性的な不安を引き起こす。そのため、人間不信に陥っている人には探索は難しい。依存しやすいものに依存してしまい、予測可能性がなくなっていく。

 

自身が経験していないことなどをイメージして分かりやすく説明されていますが、普段どのような経験がイメージにつながっていると思われますか?

 

→全く経験していないということはないかもしれませんが、人に表現するときや介助されるときに相手に説明する機会が多い。適切な説明をしないと危険を生じる可能性がある。そのため、普段から通じる表現は何かを考えている。

 

 「構成的体制」を知覚・運動ループによって更新していくことが必要とのことですが、ご自身で更新されていることはありますか?

 

→電動車椅子が急に壊れた場合、普段と違う電動車椅子になると更新が必要になる。でも、すごくたいへんなので早めにサインを出してくれるような車椅子があったらいいと思う。「弱音を吐いてくれるデザイン」も必要なのかも。弱音を吐かない介護者も困ります。知らない間に無理をさせていることもある。