アウトプット日記

読んだ本、文献、作業療法に関する勉強会・研修会のまとめ。個人的な。

『地アタマを鍛える知的勉強法』

地アタマを鍛える知的勉強法 (講談社現代新書)

地アタマを鍛える知的勉強法 (講談社現代新書)

平成25年8月7日 読了

 

まとめ:

勉強とは何か?

勉強とは「生きる力」を身につける最強のスキルである。

 

目次:

はじめに

序章 勉強しているのに、なぜ身につかない?

第一章 大切なことを瞬時につかむ勉強法

第二章 地アタマを鍛え身体に染み込む勉強法

第三章 人格を磨く勉強法

第四章 実力がワンランクアップするヒント集

終章 直感力で本質をわしづかみ

おわりに

 

キーワード:

「飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、まず、立つこと、歩くこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。―最初から飛ぶことばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない」(中公文庫『ツァラトゥストラ手塚富雄訳) p17

 

ニーチェは、ツァラトゥストラに、「わたしはいまわたしの知恵の過剰に飽きた、蜜蜂があまりに多くの蜜を集めたように」と語らせています。だからその蜜を受け取る手を必要としている、というのです。

知性や教養は蜜である。ミツバチが本能的に蜜を集めてしまうように、本能に突き動かされるがごとく教養という蜜に向かって飛び回る。そんな飛翔法的勉強法が身についているならば、その社会の将来は、まちがいなく明るい。 p20

 

孔子は、自身のことを、「私はたくさんのことを知っているのではなく、ひとつのことを貫いているだけだ」と弟子に語っています。それは、多くの知識を持つことが目的ではなく、信念ともいえる「ひとつのこと」を貫くことが大切であり、それによって自分の存在価値があるという考えです。いろいろなことを学ぶけれども、結局は「ひとつのこと」をやっているのだという潔い言葉です。孔子のいう「ひとつのこと」をひと言で表せば、おそらく「仁」になるのではないかと思います。「仁」は優れた人格を示します。それを求めて学問を志すという覚悟があるからこそ、心から学問を楽しめるのです。その時々で便利な情報を得るだけでは、学ぶことの深みは楽しめません。楽しめなければ、自分のものとすることもできないでしょう。 p25

 

私が思う知性とは、必ずしも勉強ができるということではありません。知性とは、例えば、本質をつかまえ、最終地点をイメージし、今の地点からそこへのプロセス(文脈)を見出す力です。あるいは、その思考が文脈を外さず、知識を引用しながら豊かに広げていけることだと思うのです。 p33

 

「学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし」(『論語』第二の十五より)というのは、孔子が学ぶことと考えることの関係性について述べたものです。

 いうなれば勉強の定義のようなものです。要は、学問を学んでも、自分で考えることをしなければ、物事ははっきり見えてこない。逆に、考えることが好きでも、ちゃんと学ぶことを怠ると、独りよがりに陥って危険である―という意味です。学ぶだけでも考えるだけでも、それでは足りない。このふたつを両輪にして、バランスよく回すべきだと言っているのです。 p136

 

日々の勉強の中でこそ知的な直感力が培われていくのです。即ち、勉強の中で常に、物事の中心は何かを考える訓練が必要なのです。 p176

 

―まず全体を見通して筋を見つける。その上で細部を検証する。そこで直感が外れていたら、もう一度巨視的に眼を離してみてから、再び細部に戻ってみる。―こうして、近い眼と遠い眼の両方を何度も往復させることで、推理と検証がうまくかみ合っていくと思います。 p180

 

学ぶ気持ちの持続を通し地アタマを鍛え、「上機嫌」をワザ化すること、これが私の勉強観です。いくつになっても、自分の足りなさを自覚して、他人の声に耳を傾けられる柔軟な心を持つ。そもそも学ぶ姿勢が、人の話を聞くということですから、それによって足りないことを自覚できるのです。もし考えが否定されることがあっても、それは新しい発見ができたという喜びになると思います。

人の言葉に耳を傾ける素直さが、学びの醍醐味です。 p186

 

アクションプラン:

人の言葉に耳を傾ける素直さを持つ